個性って

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カズのいい感じのプレー集(動画)を作ったので昨日アップしたが、それを観ていた会社の同僚が「大人びてるよね。セルジオ的には個性が無いなって言われそう(笑)」と言っていた。彼が冗談で言っているのは分かっていたので、それ自体は軽く流せたのだが、後から心に引っかかりが芽生えてきた。

ちょっと引っかかりを考えてみる。

ゴリゴリのドリブラーと大人びたパサーだと、ドリブラーの方が「個性」があるように感じるのは理解できる感覚ではある。しかし、そこに日本の少年サッカーが持つ(いや、日本の教育そのものが持つ)問題の縮図がある気がする。

まず、「個性」と「個性的」を混同してはいけない。そして「個性的」というのは、あくまでもマイノリティーもしくはユニークな状態に対して言うものであって、「個性」のような人としての性質とは全く別の物である。真冬に半袖半ズボンの子供は個性的かもしれないが、夏になれば個性的ではない。

もう1つ誤解しそうなのが「個性」と「特徴」だ。サッカーで「特徴」が指すのは「平均よりも秀でてるスキルや能力」の事だろう。「特徴」はある程度は意識的に伸ばせるが、最終的には生まれ持った才能と密接に関連しているので、神頼みになるのだろう。これを「個性」と呼ぶのであれば、能力が平均的な子は「個性」が無くなる。決してそんな事はなし、そうであってはいけない。

では「個性」とは何か。私が考える個性とは「意思を持つ」事である。もっと言えば「受容し、決断し、責任をとる勇気を持つこと」だと思う。

たとえば、チームの試合を想定すると、「足の遅いFW、レギュラーじゃないセンターバック、1点ビハインド、自チームだけ2試合連続」などの状況があったとする。状況に文句を言うのは簡単だが、それでは解決にならない。その状況を「受容」し、そしてプレーを「決断」する。「一本のパス、30mのスプリント、ボールホルダーへのプレス、カバーリング」。ボールを持っている時だけなく、持っていない時も「決断」を迫られる。そして「決断」した「責任」は自分で取る。

サッカーにも定石はあるし、コーチの指示もある。しかし、決断するのはプレイヤーだ。「コーチの指示通りやったのに」というのは言い訳にならない。それは自分がコーチの指示に従うという「決断」をした結果なのだ。

上手いプレーに意思は関係無いが、良いプレーには必ず意思が伴う。

個性とは、誰かと違う自分を誰かに許容してもらう事ではない。自分と違う誰を許容した上で、自分の行動に責任を持つことだ。許容を前提としない行動は、単なる我儘だ。

「個性」を持つことを教えるのは、ドリブルを教えることよりは難しいことかもしれない。「受容し、決断し、責任をとる勇気を持つこと」が個性だ、なんて言っても子供には伝わらない。重要で複雑な事を、手を変え品を変えながら子供目線で伝えることを「教育」と言うのだと思う。

教育の土台なしにサッカーが教えられてるのであれば、それは悲しい事だ。

 

 

今日のカズ:横浜FCアドヴァンスの練習だった。

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